庭蝉

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ムスヒノカミ

2019/02/28

      暖かい日が時おり訪れますがまだまだ春寒の季節です
      お変わりなくお過ごしでしょうか

 落葉樹の枝先ではもう新芽の準備が進んでいます。例えば遠くの落葉樹林の山の端などを眺めますと先月よりも明らかに茶の色が濃い。それは静謐な終わりの後の、うごめく始まりの準備とでも言いますか、ここに古代の民たちはとても神聖なエネルギーを感じていました。昨年のブログで少し触れました「ムスヒ」の神様がそれにあたります。昨年詳しくご説明できなかったので遅ればせながら列記させていただいて。。。(ウマく説明できているかは微妙です。。)

 日本の古代文献の神話にはじまる神々の系譜によりますと、先ず初めに「天御中主神-アメノミナカヌシ」という神が存在する。この神様はこの最初の登場のみでその後ほとんど名前は出てきません。私が思うに、アメノミナカヌシはこの宇宙空間そのものなのではないかと勝手に解釈していますが、その後に「高御産巣日神-タカミムスヒノカミ」「神産巣日神-カミムスヒノカミ」が産まれます。これら2柱(神様の数えかたは1柱ヒトハシラ、2柱フタハシラ)のムスヒ神は「0から1」を興す神様です。この2柱の神が居なくては「生まれる」ということ自体が理解されないのです。これは種や卵がそこにあったとしてもムスヒノカミの力なくしては発芽や卵からの出生は興らないというものです。つまり万物の生成の起点にはいつも存在する神様なのです。めまぐるしく移ろう季節の変化と繊細な気候風土により、世界にも稀にみる豊かな植物生態を成した日本列島に暮らした古代の民たちは、枯れても枯れても吹上げてくる春寒の新芽のエネルギーの凄さを畏敬の念で見守っていたに違いありません。また、全てを無にしようとする冬の枯れ(カレ)の季節から、枝が腫れ(ハレ)、新芽が吹き出す瞬間に節分(ケガレ鬼を祓い)立春(春立つ季節)を迎え、今年も苦しい冬を乗り越えられた事に、毎年心から安堵したことでしょう。

   大丈夫ですかね。。理解できますか。。。?w(^^;)


 そして続きます。


 この時期に各地の神社では祈年祭(きねんさい、としごいのまつり)が行われます。これは稲籾(いなもみ)を神前に奉り生成の力を授かる儀式にあたります。「年」とは時間の解釈が強い現代ですが、本来は稲の事を指す言葉です。(年貢などもそれです)それがいつしか稲作の周期で時間を理解する日本では、「年」を時間の単位として扱う様になったのです。その一年の始め、立春後の始まりの祭りが祈年祭です。ムスヒノカミがあちこちで躍動するこの時期。自然に身を委ね寄り添ってきた日本人の強く透きとおった精神文化は今も脈々と続いています。

 と、まあ長々淡々と書き綴りましたが、とかく2月の千葉近郊は寒いし花粉は飛び始めるし、と春や秋の穏やかな季節だけを愛でることになりがちですが、そうではない。日本の成り立ちをしっかり理解していればもっと植物や庭のこと、楽しく豊かに感じてもらえるのではないかと思ったりしているのです。

  そして前回のブログの冒頭の一句

  花をのみ 待つらん人に 山里の 雪間の草の 春を見せばや

  に戻るのです


P1017058.JPG

                      誰に見向きもされずに

                      咲き誇っていたツバキ

                      1枝拝借し部屋に飾る

                      福娘という品種だった

                      ピタリな名だと思った