庭蝉

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秋の蝉

2019/08/30

      秋のせみ 打ちみだれ鳴く 夕やまの木陰に立てば雲の行く見ゆ
      樹の間隠れ 見をれば阿蘇野の青けむり かすかに消えぬ秋の遠そら

 この季節、お稽古場の床間に毎年掛かる横幅のお軸。変体仮名を馴染みやすいかたちで織りまぜて実に柔らかい調子で描かれているのです。打ちみだれ鳴いている蝉はツクツクホウシだろう。今くらいの季節に勢いついてくる蝉です。私もよく仕事帰りに置き場の庭でゆっくりする時があります。夏の疲れが、心地よく涼やかな夕間詰めの森を抜ける風に晒され癒されるのです。場所こそ阿蘇野ではありませんが、ぼーっと眺めている景色には上記の詩のような世界が広がっているのです。

 茶の湯の世界では掛軸や菓子、着物の柄など、そのすべてに日本の季節や風土が表現されています。しかし現代社会では ー特に若い世代の方たちなどはー その気候風土がいかなるものかあまり知らない。それは都心に住んでいるからあまり動植物が身近にないから。。。。。ではないんです。

 私もよく都心には行きますが、ツクツクホウシは打ちみだれ鳴いているし、コオロギの仲間のカネタタキやキリギリスなど秋の夜虫たちもよく鳴いています。スズメやヒヨドリは勿論のこと、シジュウカラやメジロ、世界最小キツツキのコゲラだって街路樹のトウカエデを突ついていたりします。先日は神楽坂の牛込橋の上空で数羽のカラスとオオタカがやり合っていました。ビルの合間をただ歩いているだけでは判りにくいですが、そんな景色にだって大自然の一部はあります。私にとって茶の湯とは、そんなことを教えてくれた学びの世界です。植木屋としての知識(鳥や虫の名前や季節の変化)をおもしろく使えるのがまた愉しい。。神職の世界も然り、植木屋としての経験(動植物との会話や自然の強さ儚さ)をより実践的に地域の方々に伝えられるのではないか。。


 冒頭からずっと何を言いたいか

 いま、ブラジルアマゾンで史上最悪の森林火災が広がっている、というニュースを毎日のように耳にします。アマゾンは世界の植物の20%が生息しているからその森が減っているのは地球にとって大損害である、と各局が鼻をふくらませて喚いている。しかしその20%という割合に高めたのは紛れもなく先進国の人たちではないですか。もっと世界中が森や自然を大切に大事にしていたら。もっと材木の生産性を考えながら途上国をサポートできていたら。世界中に大きな森が増えブラジルのアマゾンのパーセンテージは減ります。毎年年間で四国と同じくらいの面積の森が無くなっていると言います。そしてそれには目の前の街路樹や庭の樹木は含まれていません。それらも含めるともっと樹木面積は減少しているのでしょう。


 目の前の植物、樹木一本虫一匹、それらがそのまま自然に繋がる

 日本の精神文化をより大事にすること より深く理解をすること

 それが 森林問題にも確実に効果があるように思っているのです

 

 話はかわりまして

 先日息子と実家近くの森林公園を歩いた。

 海岸沿いの埋め立て地で幼少期を過ごした私の記憶では、この地域は毎日風が強かったのを良くおぼえている。それは海からくる潮風で、身体に纏わりつき自転車などの鉄製品はたちまちに錆び付いていた。朝は丘から海に吹き、夕方は海から丘に吹いていた。丘の向こう5キロ先の高校に自転車で通っていた私は行きも帰りも日々向かい風でペダル漕ぎだったのだ。顔に当たってくる砂粒に目を細めながらの疾走の毎日だった。

 その後大学、社会人を経て、25歳で地元で独立開業するために実家に戻ってきたときに一番驚いたのが、風があまり吹いていないことだった。そして植木屋としての数年の学びが私の地元の見方を大きく変えた。30年前に埋め立て開発とともに海岸沿いに列植されていたのはマツやシイノキで、それらは防風林や防砂林として植樹され30年、ようやく防風林帯として機能しているのだった。

 いまでは樹齢50年の松林は、人工林ではありながら立派に大自然の様相を呈している。これが私の故郷の景色であり、息子にもこの景色を愉しい記憶として留めてもらいたいのだ。


写真.JPG

いま松林を抜ける風はここちよく、シャラシャラと松葉の葉ずれの音を連れていた
これを茶の湯では釜の湯の煮え始めの音に似ているとして、「松風」というのです