庭蝉

ブログ記事一覧

庭蝉のブログです。日々の作庭活動などを報告します。

庭蝉住研究所(仮)

2020/11/12

      いかがお過ごしでしょうか

 千葉市郊外では安定した気候の中、冬鳥たちがよく鳴いています。この時期は剪定作業で木に登っているとトカゲやバッタが枝に刺さっている時がある。モズのハヤニエという行動です。今年はまだお目にかからず。。。

 さて


 依然としてコロナ禍が継続する最中、あらゆる価値観が覆ろうとしている。それは建築業界でもそうなのかも知れません。今まさに、建築史にも変化が訪れようとしている。というより、変化を起こそうとしている。。。私が。。。


 詳しく説明する前に、前提として話さなければならない事があります。

庭蝉はあくまでこれからも今までと変わらない活動、関係を維持しつつ、関係する同業他社様や建築業者様、ご依頼くださっているお客様に感謝と恩返しをしながら生きていくのが前提であり、ひとつの筋道を通す事につながります。これを根底にご理解いただきながら聞いていただきたいのです。

 この度、建築物を含めた庭の提案を始めました。庭の延長線上で考える家、空間、室内のご提案です。

この発案に至った理由は明確に2つあります。

1つめは、このコロナ禍の中で庭空間がより一層の重要性を帯びてきたことによって、庭的な開放感のある建築を提案できるのではと思ったこと。

これを考えることは割りかし容易で造園屋のほとんどが頭をよぎるのではないか。重要なのは2つめの内容です。

2つめは、現状の日本の建築業界のモノづくりの流れが、あくまで建築家からの入り口がほとんどで、我々造園業界は建築屋さんから話を頂いたり、あるいはお施主様から直接仕事の依頼を受けるにしても、建築屋さんや建築物が既に決まった状態から、その周りの外構や庭園の相談を受けることがほとんどなのです。

  常日頃から私は思っていました

この仕組み骨組みがお施主様にはとてもデメリットが大きく、資金面においても、労力的にも負担増だったのです。それを打破できる仕組みを作りたかった。

つまり簡単に言うと、今よりも安くて分かり易い、「良い住まい」作りが可能になるのです。


 例えばの話です。私がお施主様から依頼を受けて、建築以外は何もない、完成したてのお宅に伺った時のことです。外水栓が建物の脇に1つ付いていて、それをリビング前に移動するのに配管作業が必要になる。また、リビング前には庭に出るためにコンクリート製の靴脱ぎがある。それをウッドデッキに替えるために我々はそのコンクリートを壊したりする。これらは全て、建築計画の最初の時点で造園屋が関われていれば皆無のムダな工事です。そしてそれらは全てお施主様の負担になっています。この手の内容は他にも沢山あるのです。

また別の例えをするならば、私が建築屋さんから造園依頼を頂けた場合、「直接お施主様とやり取りしてください」と言う良心的な業者さんもいます。現状私が取引のある建築業者様は全てそういう関係の中で成り立っています。しかし過去には、私の見積額に建築業者は1〜3割のマージンを乗せお施主様に提示していたりします。このマージンは業界的に基本的には3割なのですが私はそんなバブル期と変わらない様な無駄な上乗せはお客様に掛けたくないと建築屋さんと直談判し、せめて1割にしようと提案しています。叶うところではそうさせていただいてきました。しかし私にとっては、その1割すら無くてもいい。建築屋さんは建築物で儲けがあれば良いのです。そのマージン分を造園に使うことが出来たらどれだけ充実した住まいになるか。


  以上を踏まえ改めてご提案します

庭蝉は庭空間の提案に、建築計画も含めた住まいの提案を始めました。住まいを新しく作る、もしくは作り替える際に1番最初の窓口になる存在、入り口。

ここではこれまで培ってきた、建築業者との繋がりを活かして、お施主様のライフプランに寄り添った建築業者をご紹介する事ができるのです。その際の私の紹介料などは無料です。私はあくまで造園屋なのでそのお宅の庭空間で仕事が出来たらそれで本望なのです。この流れの中では建築と造園の関係は極めてスムーズで明確になるのです。そして、これはあくまでも今まで庭蝉が関わってきた建築業者様との関係とほぼ変わらず、ただ入り口が庭蝉からになるだけです。お客様は好きな建築業者を選ぶ事もできますし、庭蝉にお任せいただければお客様のライフプランにあった建築業者を紹介させていただきます。


 そんな些細な閃きを形にできる空間を選びに選び抜いた、と前回のブログで綴ったわけです。モデルハウス含めたモデルガーデンです。来春完成予定になります。日本人は古来から建築物と外の自然を融和しながら日々の暮らしを営んできました。土間や縁側、土庇(どひさし)などはその例になります。ある時は建物の内部機能を持つ空間が外に出たり、ある時には外の要素が建築内部に取り込まれたり、あらゆる融和が繰り返されている。それは現代的に言えば、建築業者の提案する庭空間があるならば、造園屋が提案する建築物があっても良いと言う事。


大袈裟な事を言えば、中世日本の名作である桂離宮。

その空間構成はほとんど造園に委ねられていて、建築物はその景色の中に完全に包括されている。金額面でも桂離宮は全体の8割以上を造園に使っているというのです。究極を言えばそういう事です。本来ならば、日本の快適な住まい作りには造園と建築がもっと融和をしなくてはいけないと思うのです。


  と、まあ。。。

   ついつい長文書いてしまいましたが。。。
   


        たまにはこんな理詰めの文章を
        ダラダラと書いてみるのもいい


   

建築を含めた
快適な住まい作りを庭蝉はご提案します


庭蝉住研究所(仮)のホームページはただ今構築中ですが、庭蝉ホームページのお問合せよりご連絡くだされば対応させていただきます。


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昨夜一声雁

2020/11/ 2


  さくや いっせいの かり

と読みます。ちょうど立冬前のこの時期に雁の群れが一斉に南下してくるわけですが、それを肉眼で確認できるのは明るい時間帯だったりしますよね。しかし、夜に一声雁の声を聞いた。それは気づかず聞き逃してしまう様な「くぇぇ」という僅かなサイン。。。


 陽が落ちるのが日に日に早まり、忙しなく現場を切り上げ置き場に戻りトラックのエンジンを止めると、周りの森は闇と共にひっそりと静まり返っていた。その時に遠くから聞こえた季節の報せだった。

 これは群れではない、先陣をきった斥候の一羽。冬の始を告げにやって来たかのような、遥かシベリアの凍る大地の吐息のような小さな一声を聞いたのだ。


 表題は昨夜一声雁。これは禅語としてよく茶掛などに使われる言葉です。対句になっていて、

昨夜一声雁 清風萬里秋  
さくやいっせいのかり せいふうばんりのあき

という流れです。閃きが走り、時代が大きく動いていく。という様な意味になっていますが、私はこの季節の侘しさを非常に端的に表していていいなぁといつも思うのです。


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 ほんの僅かな閃きをかたちにする遊びの

 その舞台になる場所を選びに選び抜いた

 まずこの地に坐します神様等に頼るのだ

明日は大勢の雁の群れがキレイな陣形を保ちながらこの空を超えて行くのだろう。

                  明日も良い日になる

秋の想い

2020/09/20

      涼風が心地よい季節になりました

      みなさまいかがお過ごしでしょう


 こんな情勢状況ではありますが、それらに効く1つの選択肢としてのプロジェクトをいよいよ本格的に構築中です。これは私が10年以上前から考え温めていた構想です。しかし中々きっかけを掴めずに温々とさせてしまっていたのも事実。このコロナ禍の中での一手としては最善ではありながら、私としては既に遅かっただろうという少し焦る気持ちもあります。


 という。。。


 至極中途半端な表現に留めてしまっていますが、今回はこれくらいで、、

 

 夜虫たちが鳴き誇り、植物たちは成長を一気に弛め秋の夜長を楽しんでいる

 ホッと一息ついた植木屋もまた自分の好きなこの季節を楽しんでいるのです


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      大谷石の壺
      マルバマンサクの葉が照り始める

      近くの田は刈り取りの時期で
      スズメたちが肥り始めている


この時期に茶道ではスズメのお道具が出てくる時がある。[ふっくらスズメ]と呼ばれているこの時期ならではのものです。

秘境

2020/08/25


     またしばらく更新が滞ってしまいました。。

 皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。まだまだ毎日暑いです、体調など崩されませんように。。。

 私はと言えば、このご時世に在りながらも変わらずの毎日汗だくの労働者です。外仕事、独り作業で続けてきた十数年が功を奏して今のところなんとかなっていると思っています。元より個人主義、そして仕事が楽しいわけですからただただこの身の置かれた環境に感謝をしながら、たまに仕事帰りに気になる景色を撮影してみたりしてムフフと独り満足していたりします。

今日はいつも気になっていた国道沿いの街灯。いい景色だなぁと密かに見ていた場所をようやく撮影できた。
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なんかこういうのがスゴい絶景だと思います。自分だけしか知らない、というのは絶景の1つの要素ですよね。

振り返ると弓鉉のような細い月が労働者を労ってくれた。
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     今日も良い1日だったのかもしれない

穀雨の恵

2020/05/23


  雨の日が続いています


しかし夏季剪定を終えた庭に降る雨はまた絶景を生み出す要素にもなっています。そんな雰囲気の良い写真を載せていこうと思っています。

 昨日の君津市のお庭は7年ほど前の庭蝉施工ですが、かなり雰囲気変わりまして、植物たちが力が漲っているのです。いつもこんな景色を目の当たりにする度に、こういう仕事に関われている事を有り難く感じています。

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颯颯の声

2020/05/11


       霧雨で空気が煙っていた

 その小屋は今でこそ使われぬ物置となっているが、先代の頃にはその建物が母屋だったという。ご主人もその小屋で産まれ、幼少期暮らしたそうだ。もう50年以上も昔の話だ。今は古びているが造りは頑強で、昔の農家の営みを偲ばせる、穏やかな千葉の環境の中でもしっかりとした厳しさを備えているのが、この時代の建築らしさだったりする。


 雨を避けた小屋の軒下で竹を同じサイズに切り落とし、スポンジとタワシで汚れを軽く洗う。小1時間ほどのその繰り返しの単純作業の中で、うつらうつらという眠気に似た心地の良さを感じた。実際眠いのではなく、心根が安心している。誰もいない静まり返った中でも、森はいつもザワザワと話しかけてくるのだ。竹藪では竹が軋み、老竹がパキッと爆ぜたりする。樹木は葉を擦り、枯れ枝を自ら折り落としている。ブナ科の木々は豊かな潤いある香りの花を咲かせ、それを花びらと共に風が小屋の隅々まで運び込み満たす。

   樹木各々の命が躍動しているのだ。

 そんな世界の中で、少しの晴れ間が差せば鳥たちが行き交う。ウグイスは街で鳴くのをやめて山で鳴きはじめていた。コゲラとエナガの混成の群れが枝枝に停まりながら私の背後、左から右に流れていく。遠くではホトトギスが鳴いている。相変わらずのヒヨドリやムクドリもいる。ヒヨドリはなぜかいつもとは違った鳴き方で鳴いている様だった。

 そして面白いのは近くにある動物公園のサルの遠吠えが交じり、さながらのジャングル感が出てしまう。。

   やはり独りでの単純作業は楽しい時間なのだ

   私は森を眺めてゆっくりしてるわけではなく

   竹を拵えながらも深く森に吸い込まれて行く

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面影

2020/04/17

動画をブログで載せたら面白いか、などと今さらに思った。いつもはどちらかと言うと文章や文体の変化で空気感をお伝えすることを意識していますが、こんな映像を文字化する能力がまだ私にはないのだ。

春のシダレモミジの芽吹きは紅葉から始まります。
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鉄道のCMみたいではありますが、いわゆる絶景と言うものは身の周りの何気ないところに沢山あるのです。


  皆さん お変わりありませんか?

 世間は大変な渦に晒されていますね。私たち植木屋も少なからず影響を受けています。しかし沢山のお客様に元気をいただいて毎日を過ごしております。


先日、幼なじみのヌマちゃんこと沼澤和重氏の玄関前リフォームの最終日。彼とは小中高一緒で社会人になってからも関係が途切れることなく続いている唯一の存在で、なんと庭蝉のホームページを作ったのは彼です!穏やかな陽気の下で私の作業を後ろから眺め感慨に耽っていたようでしたが、お互いがクリエイティブな仕事に携わっているからこその関係性。庭蝉ホームページもいつも沢山のお客様にお褒めいただきます。イイモノを作ってあげられるというのは信頼関係の深さに比例すると思うのです。そして完成したエントランスで3時のお茶をいただき、奥様に写真を撮っていただく(^^)こんなご時世でなければもっとゆっくりしたかったけどほぼカタチだけでもと撮った一枚がなかなかイイ。。座ってるのは平均台ですよ。

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             30年前から変わらない根底の流れ

             君はイラストを描くのが得意だった

             僕は砂場トンネル掘りに夢中だった

             今もそれは何も変わらないんだよね

           


   そうなんです
   庭蝉は私が仕事している風景もまた立派な庭景色と考えています
   だからコツコツ淡々と作りたいのです


春になりました

2020/03/14

   春になりました
   
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 こんなコブシの大木
 しかも満開

 かなりスピードを出せる山道で一瞬目に留まる絶景でした。ここのところ現場までの長距離運転が堪えて疲労が溜まっていた。しかしそこでこのモクレンに出会い頭の奥まで眼が覚めたのです。

 今年の気候はコブシにとっては条件よかった様ですね。そこ此処で満開です。

 昨年の秋から長いことブログを更新してませんでした。千葉県郊外の複合リゾート施設内の大規模修繕工事に関わっていまして四苦八苦しておりました。。半年間ひたすらの工事でしたがようやく今月末でひと段落する予定です。

 職人仲間がみんなで助けてくれるので、さながらお祭り騒ぎでの作業をしています。常時4〜5人、多い時は10人もいる。ホントありがたい限りなのです。

 つかの間の休憩中、作ったデッキで昼食を取る

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さあ、確定申告に行こう。忙しい中、夜な夜な仕上げた書類とも今日でオサラバ。。。なはず。

   皆様も春の良い景色を楽しんでください

天災からのその先に

2019/09/30

  森がガレていた。木更津のお客様に呼ばれ館山道を南下していた道中、通り過ぎる森の葉全てが茶色がかって、幹はむき出しになり枝は折れてぶら下がっているものや電線に絡まっているものが沢山見えていた。9月9日の未明に関東に上陸した台風15号は房総半島南部に甚大な被害をもたらした。私が木更津に呼ばれたのも施工した木製アーチが傾いてしまったからだった。こんなガレた森を抜ける道路ではアクセルをしっかり踏み込めないでいる自分に気づく。物言わぬ樹木たちが悲鳴をあげているように思えてならないのだ。回復の速さを考えると荒れた森に一番に生命力をみせるのは竹だろう。こうしてまた竹に荒らされた森が一気に増加するのかもしれないなどとと考えていると気が滅入ってくる。竹だって立派な命であることは変わらないのに。

 神奈川県在住の先輩から珍しく連絡が来たかと思うと、上総の保育園からの倒木伐採依頼だった。写真を送ってもらうと、幹の直径が7〜80センチにはなろうかというスギの大木が隣の樹に大きくもたれ掛かっていた。保育園は9日以降今もまだ休園中だという。お役に立ちたい思いだけでは仕方ないのだが、実際役に立てる規模ではなかった。お詫びの電話をしながら空しい気持ちが付いてまわった。

。。。。。。。。。。。。。。。。。

 災害と言ってしまえばそれまでではありますが、いにしえびと達はこんな時に祭事を行い逆らうことなく受け流してきました。この日本は元来気候に左右されながら、その猛威や恵みに畏れ敬い寄り添ってきた歴史があります。台風が去る、という発想は近代になってからです。中世以前、天災は祟りや天の怒り。もし日頃の行いに少しでも罪悪感があるのならば、それを謝罪し改める。どうしようもない事であれば、お祭り事をしてケガレを払う。そんなことで気持ちの整理をしてきました。中世以前は言わずとしれた精神文化社会なのです。だから災害が来る度に人々は心を清め続けてきた。自然が祟れば自分たちに非があると考えた。だから日本人は「心が澄んだ民族」であると言われてきたのです。しかし現代は文化文明が半ば暴走をしている状態で「気持ちを鎮める」ということが、防波堤をつくるとか、頑強な家に住むとか、、、これらは人知の範囲内だけでの鎮魂にほかならない。もっともっとこの世の中は大きなスケールで動いていることを感じる機会にしていけないのだろうか。


   私たち植木屋が今、最も危惧していること。


 それは「この樹は倒れたら危ないから切ってしまおう」「電線の近くの樹は根こそぎ全部切ってしまおう」「倒れると怖いから庭に樹を植えるのはやめよう」という発想が蔓延することです。これは私の作った庭だけでしか言えませんが、それは間違いです。過去に庭蝉で植えた樹木でその後私が定期的に剪定をしている樹木は一本も倒れませんでした。枝を抜いているので風が抜けるのと、枝先を柔らかく仕立てるので枝が薙ぐのです。支柱などほとんどしていない樹々なのです。もし支柱をしていたらそこから折れていたでしょう。枝の成長を抑えながら根の力でしっかり自立させる。そうすれば自然樹形の庭木は強いです。しかも私の勝手なイメージかも知れませんが、剪定は出来るだけその樹に足を掛けて、幹を掴んで登り枝先を落とすことで樹々はそれに耐えうる力をつけると思っています。彼らにだって絶対に意志があるのですから。

 残念ながら私の奉仕先の蘇我ヒメ神社でも倒木がありました。責任総代に呼ばれ神社に行ってみると境内裏のヒマラヤスギが傾いているのだ。そこで依頼を受け、内容的にはオーバーワークでありながらこのヒマラヤスギを伐採することに。。。普段たまに借りる12Mクラス(電柱の上程度)の高所作業車では半分も届かない。そこで27Mクラスの4t高所作業車を借りて作業をする。その伐採前に一度、樹木のてっぺんからの撮影をしました。見てください。

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千葉市中央区から隣の市原市までが見渡せる絶景です。つまりここら一帯では断トツの高さを誇っていた樹木なのです。おそらく千葉市中央区で一番高さのある木だったことでしょう。しかしだからこその風害に遭ってしまった。この木があの日、必死に倒れまいと踏ん張っていたことを想うととてもとても胸が痛む。人間の身勝手な采配で、物言わぬ命が処理される。それが大切な神社の木であり、それを私の手で断つという事。私たち植木屋は木を植える事が本分でありながら、木を伐採する事も同じくらい多くある仕事です。そんな命を操作する罪深い仕事でありながらも、少しでも人々に植物や自然の良さを理解してもらいたいという想いは皆が持っています。

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 そして上の写真を見てください。これは神社の反対側に振りかえり同じ高度から撮影したもの。近隣エリアは完全な住宅地に覆われて目立った緑はほとんどないのです。ほんの50年前までここは全くの田園風景が広がっていたエリアだったそうですが、今回の台風でこの唯一の緑地である蘇我ヒメ神社の古木たちが「危ない」というレッテルを付けられてしまった。。

 なんとかならないか。。

 作業を開始して伐採を進めながらも私自身は下で作業を見守る。近隣住民や地主の方々が集まってくる。そこで私の見解を正直に実直に皆に伝える事に専念した。今書いたことの他にも、これからの都市での鎮守の杜の在り方や有難さを伝え理解を深めた。実際に凄い剣幕で話しかけてきた地主の方も話し込むうちに徐々に神社の良さを語りだしてくれたり、昔話で盛り上がり、この神社でよく遊んだ話をしてくれたり。皆が神様という価値を否定しているワケではない。神社と近隣の新しい関わり方が生まれる時期なのだ。そういったところで落ち着いた。地域の唯一の誇れる高木古木群生地であるこの神社に関わる植木屋としての、身の引き締まる想いがしたのは言うまでもない。ただ森を深めていくだけではなくちゃんとした管理をすることにより地域住民にも被害のない森をつくる事が必要で、それは庭作りと同じ発想に起因するものです。

 そうしている間に作業員がヒマラヤスギの先端を切り詰めていく。気がつけば総代や地主が感慨に耽りながら伐採を見上げている。

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この大きさの木に触れるというだけで私たちは何かしらの力をもらっている。

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こんな杜があることを私たちは誇りに想いたい。

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境内にある過去に被雷して曲がっているケヤキの巨木。
太古より日本では自然の猛威を目の当たりにすることがあったのだ。

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異常気象とかそういうものの影響というよりも
我々の自然との向き合い方が変わってきている事の方が深刻だと思えるのだ。

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最後に。。。。。深刻な内容に水をさすようになりますが、最後の巨木の写真。。。
これは実は対照的にミニマルな盆栽です。同時期にお客様から引き取った真柏(しんぱく)。
石着きの堂々たる存在感は写真で全く見劣りしませんよね。
ということで最後にヒッカケ写真でした(笑)

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                     大きいモノの命 

                     小さきモノの命


                   携えることの嬉しさ有難さ


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 この神輿渡御の向こうに見えるヒマラヤスギの大木は来年の渡御にはもう存在しない


秋の蝉

2019/08/30

      秋のせみ 打ちみだれ鳴く 夕やまの木陰に立てば雲の行く見ゆ
      樹の間隠れ 見をれば阿蘇野の青けむり かすかに消えぬ秋の遠そら

 この季節、お稽古場の床間に毎年掛かる横幅のお軸。変体仮名を馴染みやすいかたちで織りまぜて実に柔らかい調子で描かれているのです。打ちみだれ鳴いている蝉はツクツクホウシだろう。今くらいの季節に勢いついてくる蝉です。私もよく仕事帰りに置き場の庭でゆっくりする時があります。夏の疲れが、心地よく涼やかな夕間詰めの森を抜ける風に晒され癒されるのです。場所こそ阿蘇野ではありませんが、ぼーっと眺めている景色には上記の詩のような世界が広がっているのです。

 茶の湯の世界では掛軸や菓子、着物の柄など、そのすべてに日本の季節や風土が表現されています。しかし現代社会では ー特に若い世代の方たちなどはー その気候風土がいかなるものかあまり知らない。それは都心に住んでいるからあまり動植物が身近にないから。。。。。ではないんです。

 私もよく都心には行きますが、ツクツクホウシは打ちみだれ鳴いているし、コオロギの仲間のカネタタキやキリギリスなど秋の夜虫たちもよく鳴いています。スズメやヒヨドリは勿論のこと、シジュウカラやメジロ、世界最小キツツキのコゲラだって街路樹のトウカエデを突ついていたりします。先日は神楽坂の牛込橋の上空で数羽のカラスとオオタカがやり合っていました。ビルの合間をただ歩いているだけでは判りにくいですが、そんな景色にだって大自然の一部はあります。私にとって茶の湯とは、そんなことを教えてくれた学びの世界です。植木屋としての知識(鳥や虫の名前や季節の変化)をおもしろく使えるのがまた愉しい。。神職の世界も然り、植木屋としての経験(動植物との会話や自然の強さ儚さ)をより実践的に地域の方々に伝えられるのではないか。。


 冒頭からずっと何を言いたいか

 いま、ブラジルアマゾンで史上最悪の森林火災が広がっている、というニュースを毎日のように耳にします。アマゾンは世界の植物の20%が生息しているからその森が減っているのは地球にとって大損害である、と各局が鼻をふくらませて喚いている。しかしその20%という割合に高めたのは紛れもなく先進国の人たちではないですか。もっと世界中が森や自然を大切に大事にしていたら。もっと材木の生産性を考えながら途上国をサポートできていたら。世界中に大きな森が増えブラジルのアマゾンのパーセンテージは減ります。毎年年間で四国と同じくらいの面積の森が無くなっていると言います。そしてそれには目の前の街路樹や庭の樹木は含まれていません。それらも含めるともっと樹木面積は減少しているのでしょう。


 目の前の植物、樹木一本虫一匹、それらがそのまま自然に繋がる

 日本の精神文化をより大事にすること より深く理解をすること

 それが 森林問題にも確実に効果があるように思っているのです

 

 話はかわりまして

 先日息子と実家近くの森林公園を歩いた。

 海岸沿いの埋め立て地で幼少期を過ごした私の記憶では、この地域は毎日風が強かったのを良くおぼえている。それは海からくる潮風で、身体に纏わりつき自転車などの鉄製品はたちまちに錆び付いていた。朝は丘から海に吹き、夕方は海から丘に吹いていた。丘の向こう5キロ先の高校に自転車で通っていた私は行きも帰りも日々向かい風でペダル漕ぎだったのだ。顔に当たってくる砂粒に目を細めながらの疾走の毎日だった。

 その後大学、社会人を経て、25歳で地元で独立開業するために実家に戻ってきたときに一番驚いたのが、風があまり吹いていないことだった。そして植木屋としての数年の学びが私の地元の見方を大きく変えた。30年前に埋め立て開発とともに海岸沿いに列植されていたのはマツやシイノキで、それらは防風林や防砂林として植樹され30年、ようやく防風林帯として機能しているのだった。

 いまでは樹齢50年の松林は、人工林ではありながら立派に大自然の様相を呈している。これが私の故郷の景色であり、息子にもこの景色を愉しい記憶として留めてもらいたいのだ。


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いま松林を抜ける風はここちよく、シャラシャラと松葉の葉ずれの音を連れていた
これを茶の湯では釜の湯の煮え始めの音に似ているとして、「松風」というのです

 


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