庭蝉

ブログ記事一覧

リード文

今まで8年間ありがとうございました

2011/12/ 8

もうすっかり冬になりました。

 つい最近まで暑い暑いと言っていた人々は今、寒い寒いと言っています。山は錦、歩けば落ち葉が暖かく靴を鳴らします。ジョウビタキやアオゲラの鳴き声が耳に留まります。

  いろいろあった一年 庭蝉は格別の冬を楽しめている事に幸せを感じています

  身体の一部が少しなくなるということ

  日本の一部が海にのまれるということ

  失ったものに手を合わせながらも実に感謝の矛先をそこに向けてしまう

  教えてくれたことはとても大きい

  忘れてはいけないものですね


 昨年末、仕事休止の申告をしてから半年間は既にいただいていた仕事をやりきり、夏以降は自分の時間をいただきました。・・・というこの「発言」がイケナイのです。庭蝉は「自分の時間」=「仕事の時間」であることが最高の贅沢であるというコンセプトの下に始めたものです。自分の身体と向き合い、無理をせず無理し続けることで心地よい達成感を感じています。京都にいた2ヶ月も自分の時間でした。帰ってきたら自分の時間がそのまま仕事に流れていきました。心地よい疲労感に達成感、そんな一日一日の連続を繰り返し毎日過ごす事が贅沢だな〜と感じます。


 こんな日々。。独立当初には毎日味わっていました。

またゼロからスタートです。何もなかったあの頃から始めるわけではないから意識的なところでゼロに戻すということ。

          「やっぱり庭つくりって 楽しいなあ」

              これが庭蝉のゼロです

        ここからまた始められる来年がとても楽しみです

少し早いですが


皆様今年も大変にお世話になりました
私がこんなに我がままで生きられるのも
たくさんのご支援あってのことだと思っています
ありがとうございました

またお忙しい年の瀬を過ごす方も多いと思いますがカゼなど引きませんよう。。。


では良いお年をお迎えください^^

庭蝉は年内、剪定作業で庭も気持ちもキレイにして冬籠りに入りたいと思います。
年明けは10日からの始業となります。


                      終わりよければすべてよし

                      最後はすこし厳かに・・・


                                庭蝉

秋声

2011/09/18


   今日で京都の修練の日々も終わります

 2ヶ月前あてもなく京都に向かいそのうち何か見つかるだろうと簡単な気持ちで来てみたものの。。京都生活2日目にして禅門を叩いておりました。毎朝5時に私の住まいから見える東山連山の朝焼けがとても綺麗でした。お経が聖典書なしで読める様になると、他のお坊さんとの声が重なり伽藍に共鳴する瞬間があるのです。そんな時座禅しながらも「良い庭が作れた時」の瞬間に似ていてニヤリとしてしまうのです。

   波長を合わせることは何よりも大事なんですね


   スズムシが鳴くのには理由があるのでしょうか

 調べてみるとどうやら科学では未だ解明できていないようです。ただ鳴きたいから鳴く、それでいいのかもしれません。私には意味なくとも鳴いているスズムシが大先輩でありました。仏道に本格的に入るわけでもない私もお経を必死で覚え大きな声で毎朝唱えますが、それ自体に大して意味はないのです。数分のお経だけで息があがり汗が出てきます。あれほど涼やかに綺麗に鳴ききれるスズムシは尊敬に値しました。

 先日の和尚様の一句

  「スズムシや 一句詠めよと 声がでる」

 今日は朝課も最終日でしたのでお寺の皆様にお礼もしながら和尚様の句に返す一句を思いつきました。スズムシと一緒に唱えたお経の朝をいつまでも忘れないために。

  「スズムシの 声ひびきたる 瑞峯の朝」


                これから毎年
                私の秋にはスズムシが欠かせなくなりました


                       ただそれだけでうれしくなる

月の下

2011/09/14


     掬水月在手

 「水を掬すれば月 手に在り」と読みます。手で水をすくうと月が映るという禅語だそうです。ここ数日、お月様がきれいです。私も月を杯にいただきました。

                みなさまはどんな名月を楽しみましたか?


 スズムシが鳴いています。

 「すずむしや 一句詠めよと 声がでる」  と和尚さま。。

 「瑞峯の 月をも呼び込む 虫の声」 と返してみようかな。。。。。

帰り方がわかりません

2011/08/31


 今日で8月も終わり

 皆様もお疲れが出る頃と思います。身体は大事にしてくださいね。

 8月前半、毎日たくさんの名園や寺社仏閣、仏像、名茶室を見て回りますと植木屋としてとても勉強になりました。しかしそれ以上に町家や郊外の住宅の門や駐車場の植物の使い方にむしろドキドキしてしまいます。私の造園は個人邸が専らですから。

 そして最近は京都に来ていながら、山登りばかりしている毎日になっています。。京都に来てよかった!と思える一番の体験です。京都の遷都は8世紀後半。この頃は奈良での山岳信仰(古神道)がまだ人々の信仰の基本にあったようで、山そのものがご神体だったり、山の頂上に神社があったりして、登山道にもとても歴史が感じられました。数々の歴史上の人物が「ここでお茶を飲みました」「敵から逃れるため天井を蹴破りました」「ここで密教を広めました」等々。。。頭がぐわんぐわんです。


  古都の歴史は精神文化の上にあります

    朝5時 点在する小さな社に住民は手を合わせにきます

            お経を読みにきます

              道に木に水を撒きます

    文化がまだ生きている、ということに

   とんでもなく感動してしまう自分がいます

      でもそれってさみしい事ですね

 山にある木も石も、そこを歩く私もそんなに変わらない。

 古神道は自然を神とし祀った(目の前にある自然の力のその向こうに宇宙の摂理を求めた)。そして密教は自身の内に宇宙を求め手を合わせた。プロセスが自然からか自身からかの違いだけで、その先に求めるものは変わらないのだなあと、今更に思ってしまったのです(それを合わせたのが修験道)。日本の成り立ちの歴史は面白い。


 お寺の庭から入り、山岳信仰を感じ、風に揺れる葉にいきいきとした自分を感じる。自然を敬い畏れた時代があり、そこに入ってきた密教が重なり平安以降の浄土信仰を生み、そこから様々な庭園観が生まれ今も日本に残っている名園がある(たぶんそんな感じ)。歴史を行って帰ってできる楽しさにハマっています。先日の登山は吉野でしたので今は古神道の中を歩いているのでしょうか。なのでまだ帰ってこれてませんが。。。汗かいて、息があがって、筋肉が悲鳴あげて、私の身体は自然体そのものです。

 夕方山腹の茶屋で葛きりを食べていると、涼しい風が山を駆け上がってきました。

              上り下って 汗かけど あをぐ吉野は すでに秋風


                       そろそろ帰ること考えなくちゃ

云々記

2011/08/21


    「私は自然界に対する感謝の 
      気持ちを形にしようとしてきました。
       そうすることで、私たち人間は
        環境に配慮すべき存在なのだと
         いうことを人々に感じてもらえる  
              と思ったのです。」

                ー ダン・ギブソン ー

 ネイチャーサウンドレーベル「Solitudes」創設者ダン・ギブソンは、音楽や映画で自然への感謝を促した。

      「花も美しい
        月も美しい
         それをおもう心が美しい。」

               ー 前田 昌道 ー


 大徳寺瑞峯院住職 前田昌道和尚は仏法になぞらえ自然への感謝を促す。

 私の考え方も少しずつではあるが変化している。

 「自然素材を使った庭つくり」がイコール「環境に優しい」というのは間違いになりつつある。
例えば石材の採掘現場。石を取るために山を切り開き地下100メートル近く掘り込んでいる場所もある。方形やキューブ型の石材は特に。。景石に使うような石が使えるのかもしれない。東南アジア産の人気ハードウッド材は生産を国がフォローしないため森林破壊を産んでいる。「自然をちょっと拝借する」程度の話ではなくなってしまっているのだ。

 またひとつ分かったこともある。「地球上の二酸化炭素量が増えている」がイコール「環境問題」にはならないようだ。植物は現状の大気中の二酸化炭素の割合よりも多い方がむしろ成長には適しているという。問題なのは地球唯一の「生産者」である植物の量が人間によって減ってしまっていることなのだ。つまり広大な面積を使って太陽光発電所を創るよりも、木を植えることが望ましいということ。。。


 今の私にはまだこれらに対する結果や対策はわからない。悔しいながら。とりあえずは生産可能な植物たちに力を借りて仕事をすることくらいでしょうか。ただ、重要文化財の大徳寺境内の檜の床材は数百年経って腐食の影もない。数百年間、毎日修行僧たちが必死で磨き続けた無名の芸術作品である。ここら辺にこれからの庭つくりの在り方のヒントがありそうだ。


 奈良の三輪山には太古の神道が根付いていた。山頂付近、紙垂(しで)の縄に囲まれた磐座(いわくら)に何か歓迎の空気が漂ったが、それはとても厳しいものだった。


                  とりいそぎ気持ちの整理もつけず

                         言葉の羅列、失礼。

入道雲をみていて

2011/07/11

 気づけば梅雨が明けそろそろ蝉も暴れだす頃。。

 ホッと一息ついた夕方。西の空の入道雲が縁どりを赤くしていました。夏空がとてもひろく感じるのはこの雲が「空」という一枚の絵を縦にど〜ん!!と突抜ているからなんでしょうか。

 よくある質問で、「大きい木を植えると庭が狭くなってしまうのではないか。。」というのがあります。そんなときにこんな空があったら説明しやすいな、なんて思ってしまいましたが、実際にはあったのかも知れませんね。自分が空を見ていないから入道さんがパスをくれても気づかなかったのかも。。図面優位の平面的な庭よりも高木や高い構造物をうまく使えば縦への空間はより広く感じ、使うことができます。これは庭の考えだけでなくインテリアや舞台美術なんかでもよく取り入れられる技法なのです。そして狭い庭こそ、懐の深い立派な木を植えるのです。


 夏休み前のジブリ映画合戦、「もののけ姫」がテレビ上映していました。


 木 ウエタ  木 ウエ  木 ウエタ  ミナ人間ヌク  モリ モドラナイ

 森の賢者「猩々」の言葉です。なんかジーンときました。

 例え人間が木を植え続けても
 それだけでは森にはもどらない
 人が森を作るには
 彼らのような深い思いと高いプライド
 そして自然に対する大きな感謝の気持ちが必要である


 庭蝉のアイデアが多少ですが組み込まれた街が誕生しました。

 森に住む街「若松台モリニアル」
 http://takusho.co.jp/article/chiba/post_1/


 この街がどう成長するか、これがこの先の人間の街つくりの指標になる

 と思っていたのだが、、売れる前に水枯れしてるようでは、、(辛酷評)

           工程や金銭的な広がりを XY平面で捉えるならば

 
                美意識やプライドでZ軸をつくるのだ

 
        紙っぺらでは表現できないイイモノってそこだと思う

 

        あの雲のように突き抜けるような高い美意識があれば
        あの森の街の木や草、石たちもちゃんと応えてくれる

                    まだまだ発展途上の森の街
                    これからが楽しみな街です

京の春は穀雨なのだ

2011/04/30

  雨上がり 温風薫る 紫野
            嬉々と笑うは シャガの花


 強行の京都巡業です。古都京都はいつ来ても気持ちを落ち着かせることのできる場所です。千年以上前から清め続けられてきた場所ですから。
 


 いろいろな事がありすぎて
 身も心も壊れてしまいそうな時
 下を向いて俯いてしまう
 下には大地に踏ん張る自分の足
 そしてそこに咲く草花
 
 いつの日もなにかを教えてくれるのは
 まっすぐな
 ありのままの自然界

 それが何を意味しているのかは
 またその人によって様々
 いろんな想いを重ねて


 結局それは自分が教えてくれてるのではないのかな


 花を愛で
 庭に座り
 歴史に触れ
 茶を咬む

 それは
 自分を愛で
 自分に座り
 自分に触れ
 自分を味わうことかもしれない
 
 そして人はまた
 上を向いて歩くのだ!!

 例えそれが他人であっても、人が下を向いた時ハッと感動してもらえるような花や緑がある庭を作り続けたいと思います。今、自分が庭つくりで頑張る事が少しでも世界のためになればいいな、と。自分のやりたかったことはここにありました。ほんの一瞬の小さな情動を促す庭。。

  見上げれば ツツピツツピと シジュウカラ
                   想いわからず 葉桜の道

 

                     それくらいの小さな感動である

2011 冬鳴蝉

2011/01/ 8

          あけましておめでとうございます
          


 冬ごもりも終わり、今日から季節はずれの蝉が詩っています。


 今年の庭蝉は「第一期の集大成」とでもいいますか、、くぎりの年にしようと思っております。蝉の一生は7〜8年。これをくぎりに8年ごとに心身ともに改める、そして自分が成長したところ、身につけた技、仲間、人脈を無駄にしないために、より一層の精進が必要かと思います。昨年までに課された問題は山積みです。ちなみに昨年分の経理領収書が事務所に未だ山積み。。。これはいつ誰が片付けるのでしょうか?ちょっとした恐怖体験です。

 話は戻りまして、、庭蝉の西田金太郎はこの8年間、どれだけ社会に貢献できたのでしょうか。自分の営利にばかり走ってしまったことはなかったでしょうか。イイモノを作りたい、これが私の心の中に刻まれた一番のイイモノです。庭作りを通してお施主様一人一人に庭を作っていただきたい、という難しい表現ですが、そういう事なのです。

 
          ひとがどう思っていようと

           「これでイイのだ」

          という 自由な表現には

          相当の責任とリスクたちが

            付いて回ります


 それが克服できる強者にのみ許される一言なのです。

              もういちど 深くもぐって

              その言葉を見つけてみたい

              自分にしか言えない言葉が


         そのまま自分にしか作れない庭になる

 
 ひとつの庭 ひとつの詩

     庭 蝉


 を本年もよろしくお願い申し上げます。
 庭蝉 西田


page   1