庭蝉

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リード文

ただいま

2013/09/21


    ヒガンバナが咲いています
    アカトンボがあちこち飛んでいます
    一昨日は中秋の名月がキレイでした

 庭蝉は無事 定位置に着地し、と思いきやまた出張の日々が続きます。打ち合わせに行くべきお施主様や工事をお待ちの方々、今しばらくお待ちください。確実に一つ一つ完成させて進んでおりますので。。。
    


 この多忙な時に私は単身 三重県伊勢市に約一ヶ月おりました。
 ブログでは曖昧な抽象的発言で留めていたのは、資格の取得に関わる修行だったからなのです。
 資格取得が目的でしたので取得前の公言は慎まねばなりません。
 落ちたら恥ずかしいですしね。。。


   結論までは少し長くなりますが。。。。。


 私たち植木屋は常に植物や石、生き物たちと接し、持ちつ持たれつの関係です。そんな中で私は彼らに助けられ感謝され微笑まれ励まされ日々を過ごしています。またこれらの表現は決して擬人化したものではなく、そういう世界が日本の植木屋の世界観なのだとも思います。極めて宗教的な価値観だと思います。事実、「庭」の起源を追求していくと世界中の民族に共通して、それはその土地の宗教の起源に行き着きます。本当に不思議な存在意義を持つ「庭」。

 そして私たち日本人には世界に誇れる「神道」という世界観があります。古代の日本人が植物や石、自然現象に何かしらの能力を感じ畏れ敬い祀(まつ)ってきた感覚は、私たち植木屋の世界観に近かったのではないか。そう想い始めて数年経ち、この度、神職資格取得のご縁をいただき、作法や知識に磨きをかけてまいりました。神職資格とは神社でのご奉仕ができる資格です。これからは少しずつですが地元の神社での奉仕も増やしてくことになります。
 そして結果、植木屋としての活動が減るようにも思われますが、それは違います。理由は簡単です。私は「植木屋」として地元の氏神に感謝し奉仕することに意義を求めています。私たち植木屋は植物を育てもしますが、時に殺生もし操りもします。そんな中で感謝し詫びる気持ちを持ち続けること。同じ一つの命として感じ合うこと。そしてその価値観を周りに理解してもらうことが大事なのだと思います。


 こういった深い話はブログなんかでは控えた方が良いかもしれませんし、私の考えが激変し宗教家にでもなったのかと思われるのが非常に危険かとも思います。(汗。。。)そうではありません。。。


 しかしこれは庭蝉始まって以来持ち続け、育んできた庭蝉設立の根幹を少しずつ形にしてきた結果なので、時にはこんなディープな話も公言しなければなりませんが。。あくまで私は今まで通りです(笑)

 ただ 今まで以上に「庭蝉」の存在が私のライフワークにより近づいたのは確かです
 ライフワークとは人生の学び(http://ja.wikipedia.org/wiki/ライフワーク
 産まれてすぐに宛もなく投げたボールを一つ一つ拾い集めていく様な
 宝探しのような人生の最高の遊びです

 よくわかりませんがそんな感じです


 伊勢での最終日
 伊雑宮(いざわのみや)では台風直撃にも関わらずひとつも倒れることなく稲が実っていました
 これこそが日本という国の根源、奇跡の神田でした
 日本の「庭」という言葉の起源のひとつに「斎庭(ゆにわ)」という言葉があります
 それは「田んぼ」を意味していたという説が有力なようです
 初めて日本の古人(いにしえびと)が自然を削り操り稲を育てた
 それを「ゆ(神聖な)」「に(土の)」「わ(場)」と呼んだ
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