庭蝉

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神様の芸術性

2014/12/31

  なんとか無事に仕事を終え年越し蕎麦を食べ終えました
  ご近所に迷惑をかけながらも今日の日の入りまでの作業
  最後の最後で天気が続きホッと肩をなで下ろしています


 今年1年 庭蝉は例年通り皆様に必要とされ、期待され、その中でさらなる切磋琢磨ができた1年ではなかったか。身体の疲れや痛みから来る一定の充実感の中で日々を楽しく過ごせたのではないかと、振り返っています。毎年のことながら、独立して12年、関わった全ての方々に感謝の気持ちであふれています。

 しかしながら反省もまた毎年消えることはなく。。。今年は仕事量のバランスがヒートアップ気味でしたね。。植木屋と神職と茶道への時間の配分が非常に難しかったのです。理由は簡単です。三者とも気候の良い初夏と秋に集中するからです。つまりそれは全てが自然への畏敬の念から生まれ、自然に全身を委ね発展させてきた日本の文化そのものであるからなのでしょう。来年はより良く上手く廻るように気を付けたいと思います。

 話は変わりますが、以前「職人芸」や「職人技」という言葉で意識される技巧の類いが「芸術」の域にまで達するにはどうすれば良いのか。職人と芸術家の違いは何なのか?と質問を投げかかられました。私の考えは、こうでした。

 ある日仕事をしていると、地域の住人や別件で来た職人さんに「芸術的だねー」なんて言われたりしました。私は自分で作っているものに対してはあまり評価ができない(客観視できない)ので、一生懸命つくるので精一杯です。それは職人として。つまり「芸術」というのは二人称的な使われ方をするものなんではないか。他人の感覚次第ではないかと考えていました。

 しかし質問を投げかけてきた男性はズバリ一言でこう言ったのです。

 「そこに神が宿るかどうかなんではないですか?」

 この一言で全てが説明できる。納得してしまいました。

 植木屋も神職も茶道も

 自然とヒトを繋ぐ作法がある

 どれだけ真摯に取り組むかによって

 私の周りにある、もしくは作り上げた自然が

 ときに神に触れ

 またそれに触れたヒト達が

 芸術性という神様として見い出してくれる

 年末最後になんだか難しい話になってしまいましたが今年の汚れは今年の内に。。。ということで、

 今年も大変お世話になりました どうか良いお年をお迎えくださいませ
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 私はこれから神社奉仕に向かいます
 庭蝉は来年 1月12日からの始業となります よろしくお願いいたします